昔は自動車でアイスクリームを販売していた

今週のお題「好きなアイス」

子供の頃、毎日おこずかいで親から50円を貰っていた。時代も時代なら駄菓子屋にお菓子を買いに行く事は子供達の日課になっていただろう。学校から帰って、近所の駄菓子屋には必ずと言っていいほど友達、知っている子がお菓子を選んでいたものだ。

50円か100円か。
子供達にもおこずかいの多い少ないがあった。

自分の活動していた地域は大抵こ子供達は毎日おこずかいを貰っていた。このおこずかいでどんなおやつを買うか?20円のスナック菓子に20円のチューペットとをつけて、10円のガムを買う。50円のチョコボールや、ラムネを買う。
100円貰っていた子供はもう選びたい放題だった思い出がある。50円のお菓子に20円のお菓子をたして、30円のチューペットを買ったり、20円を残してガチャガチャを回していたり…。駄菓子は算数の勉強にもなっていたなぁ。

前置きはさておき、この時期になると子供達の買うお菓子もアイスクリームに変わっていく。やっぱり暑いからスナック菓子とか、チョコレートとかの合わせ買いはなく、30円、50円、100円のアイスクリームをみんな買っていた。
子供心をくすぐるアイスクリームのネーミング。三色団子を四角くした味の味が変わる棒アイスや、ラクトアイスではなくシャーベットを固めたフルーツ系の棒アイス。マーブル状になっている2つの味ができるラクトのカップアイスや、かき氷の名をうったカップアイス。

シャーベットか、ラクトアイスか?
とくに子供達の間では議論はなかったけど、30円で買えるアイスクリームは人気があった。覚えているだけでも、3色の色した王将、2本の棒アイスを半分に割るラムネ味のシャーベット状の棒アイス、長方の四角の厚紙にまかれたホームランバー。後は真ん中でパキッと割るチューペットを凍らせたもの。駄菓子屋のおばちゃんが、先っぽをハサミで切って渡してくれていたのが懐かしい。

どれも懐かしく、いまでもあるアイスもあるけど、当時は当時でいろんなアイスを楽しんでいた気がする。この50円、100円で買えるアイスクリーム。
商品の入れ替え時に上の方に当たりが出やすい設定が当時あったから、それを知っている子供達がアイスの業者が来るタイミングを見計らってよく集まっていた記憶があるなぁ。
そんな毎日、次はあのアイスを、いや、3日間30円で我慢して、100円のアイスをと子供ながら色々と思案していたところに、当時としては破格の150円のアイスクリームが販売された。確か、「宝石箱」って名前でピンクレディーがCMしていた記憶があったなぁ。まさしく子供達には高嶺の花で、中学生や高校生のお兄さんお姉さんが買っていたのを横目で見ながら羨んでいたな。

…今となっては200円台のアイスは当たり前、ハーゲンダッツレディーボーデン、その他色々。気がつけばアイスの価格帯が消費税の兼ね合いもあって30円とか無くなっていた。自分自身、西の出身なのでガリガリ君は流石に知らなかった。ガリガリ君があればそればかりを買っていたかもしれない。

そんな中、自分の好きなアイスはチョコクランチバーという名のアイスだった。50円でチョコレートと砕いたアーモンドをラクトアイスでコーティングしたもの。食べてて「チョコとバニラで2度おいしい!!」と毎日のように買って満足していたものだ。確か最初の頃は当たりつきだったような気がする。まあ、35年以上昔の記憶なのでどこまで美化されているか分からないけど…。

今は週休二日だけど、昔は土曜日は休みじゃなかった。午前中に学校を終えて、お昼ご飯を食べて、友達と約束して広場に集まって野球の真似事や走り回っていたり、遊びに勤しんでいる15時位にいつも、アイスクリームを入れる冷凍庫を設置した軽自動車がアイスを売りに来る。昔の豆腐のベルやチャルメラのようにスピーカーから軽快な音楽とともに。
これはエスキモーというメーカーのサービスで、エスキモーのアイスクリームだけを売っていた。そのアイスの中に、自分の好きなチョコクランチが入っているので、喜んで車を止めてもらって買っていた記憶がある。
駄菓子屋の販売アイスを入れる冷凍庫はグリコや森永等の大手アイスばかりで、エスキモーが少ししか入れる事ができなかったから、移動販売を行っていたとか。

自分が歳を重ねるにつれて夕暮れ時にいつも思い出すエスキモーのアイス販売の自動車。今となって後遺症でアイスクリームは食べる事すらできなくなったけど、早く回復して冷んやりとしたアイスを頬張りたいものだ。

徒然なる日々の生活の中に…。