8月のてがみ

6月から鍼灸医に通い出して早2ヶ月。随分と体力も復調したものだ。
7月から空けずとウォーキングを続け、大体1〜2時間近く歩き続けている。距離的には4Kmぐらい。飽きもせず、雨の日は自宅マンションの廊下を階段を使って登ったり降りたり。おかげでこの地に根を下ろし15年だけど、知らなかった道や、建物、お店、公園が、地図上にて自宅を中心に綺麗な円を描いているような歩き方になっている。

もう一つは外猫さんを見つけるのも一つの楽しみにしている。大体は逃げるが前提で近づいていくのだが、これがなんとも、付かず離れずの猫さん自身のゾーンを必ず守り、遠のいては寝転び、顔を洗い、近づいては鼻をのばして嗅ぐふりをしてまた遠のく。まあ、慣れてくれば多分だけど、懐かせる自信はある。
昔から人の背後をとるのは得意だった。気配を消す、足音を消す、今でもできるみたいでこの「0距離」はそっぽを向いていたり、寝入っている猫さんに気取られず近づきそっと撫でてやる事ができる。
まあ、大体は猫さんに怒られて、猫パンチを食らうのが関の山だけどね。

そう考えれば随分と体力がついたものだ。6月迄は寝込んでは起き上がっての繰り返しだが、比重は布団の上の方が多かった記憶がある。確かに、梅雨ということもあり、気圧で体調が右往左往していたのも確かだろう。一時は改善された顎関節症もひどくなったので、鍼灸医に通い始めたのだが、その2週間後には毎日歩いている。便利な世になったものだ万歩計を買わなくてもスマホが代わりに歩数を測ってくれる。

これも古くからの付き合いのある悪友からの助言もあった。

癌を患ってベッドの上から思い浮かぶのは古くからの友人達ばかりだった。
東に出て疎遠にもなり、付き合いもどんどんと減っていく。最初は年賀状とかでも連絡を取り合っていたけど、それもなくなっていく。これは距離の関係ばかりでもない。自分の転職に合わせて、同じように疎遠になっていく友人達。そのうち自分も鬱を発症してしまい、疎遠から不義理へと代わり、一時は誰とも連絡を取らなくなった。

入院してひと月が経とうとしている頃、治療にかかる身体への負担も増え始め病院食も全く手がつけられなくなったころ、パンだけをかじって持ってきたMac book airを開く。スマホでも見れるのだが、FacebookTwittermixiと、もう使う事もないと考えていたにも関わらず、何故かもう二度と会う事、絡む事のない人の足跡を追ってしまう。心の奥底で何かが燻っているのがわかる。
我が家の情報は定期的に着替えや差し入れを持って家内が来てくれるので、話を聞く事ができ、尚且つ顔を合わせる事ができた。実家の親も電話で話す事ができ、こちらの現状報告も伝えて、日々変わる体調に一喜一憂と心配ばかりかけて申し訳なかった。おかげで家族という繋がりは一回りも二回りも太くできたと思う。入院生活後半では、一時帰宅も認められていたので、子供達との繋がりも改めて感じる事ができた。
組んでいるバンド面子は気を遣ってか連絡もLINEで、たまにあるか、オイラの現状はどうかぐらいだ。
もしコロナ騒動がなければ、バンド面子とも家族とも、はたまた家内共通の友人が見舞ってくれるのは想像できた。それができれば入院生活もどれだけ気が楽になっていただろうなぁ。

そんな中で旧職場の先輩方数人にも連絡をとってみた。ありがたい事に何かあれば協力してくださるとのことでこちらも不義理を働いていたにも関わらず快く門戸を開けてくれたものだ。
そんな中、絶対に連絡をしない、いや、したほうがよい、と悩ます悪友がいた。中学生からの付き合いで良い事も悪い事は殆ど彼から教わったといっても過言でもない。煙草の吸い方、酒の飲み方、こんな音楽お勧めだ、とか。

奴には中高べったりと着いたり離れたり。まあ、オイラは高校時代には吹奏楽部に没頭して、また彼女もできて、と比率が極端になったが、彼女の次に一番の付き合いは奴だろう。バンドを組んだりと色々としたものだ。

病院のベッドの上、マスクをつけたままLINEで写真を送った。
そんな気にも止めてないような返事が返ってきた。多分、コロナにかかったか、軽い入院だとおもっていたのだろうな。すぐに電話で話する事になり、現状を伝えた。

「お前、絶対に生きて帰ってこいよ。」

退院後も定期的に塩梅伺いのLINEもくる。退院直後は寝たきりが多く、「こんな状況だよ」と力なく返事していたものだ。「朝に散歩するのはいいぞ。体力がついたらやればいい。」
たまに時間がある時に話をするのだが、容態の確認後はこちらが一方的にしゃべって、「うんうん」と聞いてくれているのが殆どだった。昔とはまるっきり逆であって、奴の方が情報を沢山もっていた。おいらから見れば奴の存在は本当に羨ましく、好きな事をして、好きな音楽を聴いて、好きな生き方をしていた、ように見えていたのだろうな。
複数人の友人達と奴の家に集まった時、奴が不在の時に奴のお母さんから泣きながら相談された事があったなぁ。「みんなはちゃんと就職や学校に行って親御さんを安心させてあげているのに、うちの子はふらふらとしていて…。」おいらも含め集まった友人達は口を揃えて「いや、奴は大丈夫ですよ」と答えたのを今でも覚えている。当時の奴はバイトをしながらでもそれなりに働いて暮らしていたし、時間はかかったけど正規の職が決まり、現在もその会社に勤めている。
高校を卒業して5年くらいの話。

電話口で奴と話をしていると、随分と変わったものだ。結婚して、2つになる娘もいるらしい。一番可愛い盛りだなと話して奴の実家の話になった。
「ああ、うちの母親はお前と同じ癌で死んだよ」幹部は違えど、癌が見つかった時にはもう既に手遅れだったらしい。もっていたスマホを落としそうになった。優しいお母さんで、よく話も聞いてくれた。
「悪い、余分な事を聞いてしまって。帰阪した時には押し掛けて悪いが墓前で手を合わさせてくれ」
笑いながら了承してくれたが、15年会わないうちにいろんな事が奴にもあったんだな。

おいらが家内を連れて親に結婚する旨を伝えるため帰阪した時、親孝行もしていないおいらでも親は結婚を許してくれた。その晩、奴にも家内を紹介した。他人事なのに自分の事のように喜んでくれた。

8月はたしか奴の誕生月だった気がする。前回の連絡からひと月以上経っているからそろそろ現状報告しておかないと、また心配されてしまうかもね。
いや、その前に子育てでそれどころでもないかな。

徒然なるままに。